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 ニューヨーク女はじめての一人旅 旅行記

2001年9月6日〜19日

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 つらいけど明るい町 NY の2週目 


●9月12日(水) 落ち込む私、明子さんと出会う。

昨日の事件と不安と日本にいつ帰れるかわからない状況でかなり落ち込んでいました。
こんな日でもアンはどこか外へ出かけてきなさいという・・・NYの人は強い。
バスも通っていなく、橋が閉鎖されているせいで車がかなり少ない。NYではない、静けさ。
セントラクパークにいってみると、いつもとかわらずエクササイズしているひと、ジョギングしている人がいて驚いた。
お金のない私は(だって今日帰国予定だもんね)図書館の前でぼーっとすわっていた。(もちろん図書館はClosed)
隣の離れた所に日本人らしき女性を発見。声をかけてみることにした。
"Excuse me, are you Japanese?"(こんなダイレクトに・・・)
返ってきた返事は「そうですよ〜」私は「少し話していいですか?」といった。
心細い心境を誰かに日本語で話したかった。彼女の名前は明子さん。26歳で父親がNYに仕事で滞在しているという。
毎年、父親を訪れているが今年で日本に帰るそうなので最後なんだといっていた。
お土産の話や、私の好きなDRの話・・・もちろんテロの話も。
明子さんは前向きだった。「帰れるでしょ」とはっきりといった。「私の飛行機は月曜日なんだ。そのころまでには大丈夫でしょ」と。
私の飛行機は水曜だったので、月曜の予定の明子さんをうらやましく思った。
これからの予定を聞かれて特にないといったら、「メイシーズにいくんだけど、いく?」と誘われた。
実は、おととい行ったばっかりだったんだけど、ひとりになりたくなかったので一緒に行く事にした。

メイシーズはNYでとっても有名なお店。店員さんもちゃんと挨拶&笑顔をしてくれる。
私はレスポのポーチを買った。明子さんはポロスポーツのノースリーブを買っていた。
そのあと、お昼。明子さんがご馳走してくれました。デリだったので、残ったものをもって帰ろうとすると、そんなにお金ないの?
大丈夫?もしなんだったらうちに来る?といってくれた。でも、そこまでお世話になれないとおもい、お断りしました・・・ありがたい。。
お水も買ってもらい、電話番号をもらって別れました。半日の出会いだったけど、明子さんは私を救ってくれた人です。
日本での連絡先を交換しなかったことに後悔・・・一度お礼を言いたいです。

●9月13日(木) 元気なし、記憶なし。

ただ、元気づけにアンが口紅を3本(エスティーローダー!)と寝室にお花を飾ってくれた。
一緒に洗濯と掃除をして、気分転換をした。ありがとう。

●9月14日(金) 美術館めぐり!

美術館周りは最高!!(テロ事件のため美術館のchargeは無料か任意のところがおおかった)
このエキストラ ウィークがなくてそのまま日本に帰っていたら、私の旅はなんだったの?!状態だったな〜
それともうひとつ。私は日記をつけ始めました。なのでのっけます。(つけたしあり)

この日から、元気を取り戻した。町じゅうにWTCの焼印。(チョークかなぁ?いたるところの道路に押されていた)
We will Stand. We will overcome!の張り紙。 バスは無料運転になり、NYは素晴らしいと思った。
(バス停に立ってたらおじさんがバスはいつくるんだい?とはなしかけてきた。分からない・・・どうしようとおもっていたら
近くに立っていたお兄さんが察してくれて"I'm not sure..."と代わりに答えてくれていた。ありがとう!)

今日はすごく寒かった。だから一回外に出たあと、家に戻った。そしたらアンに何かはおればいいじゃないかといわれ、
パリで買ったというジャケットを貸してくれた。マダムみたいだった。全然、にあってない。
寒いからそれを着て、傘さして出かけた。
(初めに出かけたとき、変な人に声かけられてこわくて帰ってきたんだった)あんまり町に人がいなかった。
アンの勧めでモーガン図書館へ。一体誰なのか知らなかったけど、作家らしい。
そういえば、入場料が$6なのに、私の全財産は$5.23しかなかった。
"I have no money."というとなんか手でジェスチャーされて$5で許してくれるのかと思ったら、
小銭全部渡して$5返してくれた。Thank you! ありがとう。
ここはかなりロマンだった。1600年代の古書を見て、体が震えた。人類には歴史がある。
天井がとても高く、一面(というか4面)に本が納まっていると、圧倒される。すごい。
次にフリック美術館。ここはお家が改装されて一般公開の形をとっているところ。
昔の家具や絵をものすごく近くで見れて感動。途中、警備員に話し掛けられて少し話した。NYはすきか?(←よく聞かれる)
どこに滞在してるの?どこ出身?なにしてるの?など・・・NYが好きだと答えたらNYに住んでといわれた。
住めるもんなら住みたいです。
そして、そして一番のお気に入り現代アートのホイットニー美術館。
(かなり気に入って合計3回行きました) 面白い!ケーキの絵とか、おばあさんの模型とかモザイクで作った写真に似せた絵・・・
とにかく面白い作品がたくさん。卵おじさんもあったし(ずっとみてると変なことはなすので、一緒に見てた女の人と笑いあいました)

夕食をデリで買って、テレビを見て、お風呂に入り就寝。

●9月15日(土) 2度目のミュージカル

金曜の夜に立てた計画にそって、GO OUT!
初めは切れていたコンタクトケア用品を買いにDRへ。黒人さんスタッフに聞いたけど、私の英語が伝わらなくて一苦労。
結局間違えて買ってしまい、買いなおすハメに。2千円くらいかかってしまった。痛い。
34stのDRにはもういけないなーと心に思う。
そして、切符の7days unlimited cardを買う。これで自由に行動できる。ふふふ。
92stあたりのICP(世界のニュースの写真館)にいったら
"ICP has moved"のサインが!ちゃんと本を見てきたのに…古いんだよ〜!!
あきらめてグッゲンハイム美術館へ。あんまりよくなかった。
工事中だったし。そしてセントラルパークをわたってwestへ。
途中、セントラルパークで休んだ。日差しは強かったけど、ゆっくり昼寝しました。

そしてアメリカ自然史博物館へ。ここはものすごくいいところです!!絶対行くべし!1日かけてまわったほうが良いように思う。
広いし、すごい!疲れて3・4Fはちらっとみておわった。親子が"Can you imagine?"を繰り返し使うのでこの表現を覚えた。
そういえば、その前にバスに乗ったときに、おじさんに"Excuse me."と声をかけられた。
私がバスにのる時走ってきたので、どうやらそのことを言ってるらしい。彼の話はこうだ。
「バスは止まるんだから、走らなくてもいい。転んでしまうぞ。それに次のバスも来るんだ」
初めはわけが分からなかったけど、交差点でも電車でも乗るために走っている人をみない。バスとか電車が待っててくれる。車も。
不思議だ、そうしてくれると自分が尊重されているように感じる。

疲れたのでアメリカ自然史博物館前の公園っぽいところでランチ。
スーパーで買ったバナナとマフィン。(6個入りのを3日くらいに分けて食べた・・・節約です)
そのあと、ジョンレノンの住んでいたダコタアパートへ。写真とったけど、別に好きではないのでふつーだった。
MOMAにいって終わり。(MOMAもNo charge!)ピカソの絵が見れてよかった。
6時20分ごろ帰宅。そして、11日に見る予定だったミュージカルが再開しているかどうかシアターに問い合わせの電話をかける。
そしたらやっているとのこと。Refundしにもらいに劇場へ向かった。言ってみて話すと、今日見ていくか?といわれた。
時間もあるし、見ますといってブルーマンショウをみました。ガイドブックには英語の分からない方も大丈夫とあるが、
これはうそです。
彼らブルーマン3人にはセリフはないけど、かわりに電光掲示板に英語を流すのです。
なので、jokeがわからないと取り残されます。
私のわかったのはよく美術館にかいてある、スケッチはOK。だけど写真はNOというのだけでした。
美術館が身近なものだからこそ
このjokeが生まれるんですね・・・とにかく面白いです。途中タクシーにのってどっかにいってしまったりするし・・・。
最後にpaperの嵐。
後ろの人に回していくんだけど、想像できますか?
すごい量でした。showのあと、ブルーマンと握手して劇場をでる。
夕食をNatural storeで半額でgetして家へ。
家に帰るとアンが心配して待っていました。Refundしに行っただけなのに、なかなか帰ってこないから・・・といわれました。
show見てきたんだと答えましたが、電話すればよかったかな。ごめんね、アン。

●9月16日(日) ポーラさんのお宅で黙祷をする

アンに誘われて、夜ポーラさんのお宅へ。
ポーラさんというのはアンのヨガの先生。インド人のご主人がいて、つい最近NYにインドから帰ってきたとのこと。
そこではテロ事件について黙祷をみんなでしました。
アンがいく前に"FEEL ENERGY"といった意味がわかった。20人近くの人が集まり、2時間の黙祷。
初めての経験だったけど、今でも強く記憶に残っています。
そのあとは、話し合い。ワインや食べ物を持ち込み合い、夕食会にうつりました。
私のことを対等に扱ってくれてうれしかったです。私が話したのはナタリー21歳。SOHOに住んでいて
短大を卒業したといっていた。今は・・・何しているのか聞き取れず。あとでアンにもそれを聞かれ、分からないと答えたら
不思議そうな顔をしていた。
(このときの英語力はかなりなかったように思う。このNY旅行が英語を言葉として認識するきっかけになった)

昼間は美術館めぐりをしてました。そこでであった日本人のおば様たちと話したんだけど、
彼女達は11日のフライトで飛行機を待っていたらテロ事件が起こった。
そして空港から追い出されてトンネルもしまってるからマンハッタンに戻れず、郊外のホテルに3泊。
そしてマンハッタンに戻ってきて、今は知り合いの家に滞在しているといっていた。
それが私だったら、やばかっただろう。同じ時期にNY入りしていた友達も日本に帰ってから聞いたらホテルが取れなく
フロントで雑魚寝したといっていたし、私はアンの家に滞在できたことを幸せに思う。そんなことをマック inNY で思う。
(嗚呼、普通の日常)

●9月17日(月) 散策・・・そしてマリオさん

この日はE・ヴィレッジにいって、日本雑貨店へ。
日本のドラマのビデオや本、食べ物が置いてある。NYにいながら日本の流行を感じられる。
でもせっかくきているのに、こっちで深田恭子をみてもしょうがないじゃんとかと、ふと思ったりした。
スタッテン島にすんでいるひとのシェア募集の張り紙が多かった。いつか、スタッテン島に住もうと決めた。
ヴィレッジを散策して、途中ネイルサロンに立ち寄る。日本でも入ったことがないので緊張した。
中国人の担当のひとがきて、どの色を塗るかなど話し合った。流行っていたフレンチネイルをしてもらうことにした。
爪もきれいになり、料金を渡すときがきたら、担当の彼女が小声で言った。
"You have to pay tip for me."すっかり忘れていた私。小銭を大量に渡す。(財布の掃除もかねて)
安いところを探して入ったのだけど、チップという存在を忘れていた・・・結局高かったなぁ。
そのあと、図書館へ。大学のHPにアクセスしたがつながらず・・・残念。
公園で一休みしていたら、車椅子に乗った男の人が話し掛けてきた。
彼はうまく話せないらしくアルファベットがかいてあるボードを差して私に言葉を伝えてきた。
周りを見渡すと、病院。病院内の公園にきてしまったらしい・・・
時間もあるので、その彼とはなすことにする。名前はマリオ。
初めは普通だったのに、徐々にボードでさされていくアルファベットが"I LOVE YOU"・・・
付き合いたい・・・など、こわくなって立ち去ろうとしたら、話したい、話したいといわれた。
怖くて遠くに逃げた。もっとふつうにコミュニケーションをとりたかった・・・

そんなこんなで帰りのバスにのる。
美香さんが言っていたとおり、またNYの夜景を見たいと思った。
あと2日の滞在。すでにI miss NY....な私であった。

●9月18日(火) ボブたちとの出会い&ユダヤ教のお正月

アンに誘われてニュージャージー州のアンの従兄弟のボブ宅へ行く事になった。
アンはユダヤ教信者であり、この日はユダヤ教のお正月にあたる日だった。
ニュージャージー州へはたしか$3くらいでいけるとおもう。アンと電車に乗る。
昨日きれいにしてもらった爪がみつかる。"Your nails are much nicer...."と自分の爪を隠すようにアンが言った。
ちょっとうれしいけど、ちょっと微妙。
ニュージャージーにつき、アンが携帯でボブを呼ぶ。
駅まで向かいに来てくれて、はじめましてをした。アンからボブ一家のことや他の参加者のこともきいていたので
名前を紹介する前に"Bob"といってしまった。ボブはおどろいて、なんでしってるの?見たいな顔をしたので
"I recognized you!"と答えた。それを聞いたボブはアンにさっきIchikoがね・・とうれしそうに話していた。
ボブの宅へつくともうすでにボブの双子の兄夫婦ともう一組の老夫婦がきていた。
この老夫婦の奥さんのほうはとてもしっかりしていて、すごく好感が持てた。
夫のほうはボケが始まったらしく、"Thanks for coming!"というボブの言葉に"Thanks for going!"と答えていた。
周りの人、引き笑い・・・おじいちゃん。。。私はオレンジジュースをもらい、みんなの話を聞く。
飼っていた猫がなくなったことや、息子の話、アンの娘夫婦の話・・・そしてテロの話。
日本の地下鉄サリン事件について聞かれたけど、知識がなくてうまく答えられなかった。
あれもテロよね〜と。
遅れてボブのお母さんがやってきた。もう90歳を超えてるおばあちゃんだ。
みんなにとって私、アジア人はめずらしいらしく、奇異の目でみられた。(こうかくと悪い感じ?でもいい意味で)
興味深々な目でみつめられた。ボブのお兄さんは寡黙な人でかなり惚れた。といっても50代だけどね。
かれはボブとは違い(ボブは明るい)低い声でぼそぼそ話す。聞き取りにくいけど、話すことができてうれしかった。
ところで、ボブとアンは再会したときに口と口でキスをしていた。いとこ同士でキスしなくちゃいけないのか・・・
ちょっとやだなぁと思った。

食事タイムになり、ボブの奥さんの手料理を食べた。ひとつひとつ説明してくれて、
ホームステイすればこんなかんじなのかとおもった。
赤いすっぱいものがあって、これは何?ときくと日本でいう納豆みたいなものだよ。嫌いなら食べなくていいよといわれた。
確かにまずい・・・ごめん、ボブの奥さん。

ボブたちはアンにどこで私と知り合ったのか聞いていた。アンが日本人を受け入れているのはずっと前からなのに
それを知らなかったようだ。まぁ、アンにしてみればビジネスだしね。仕事の話はしないのかなともおもった。
ボブは明るい人でウィンクもするおちゃめなおじさんでした。またボブ宅へおじゃましたいな。
(IchikoがまたNYに来る時教えてね。また来てねといってくれた、ありがとう!)

夜になったので、アンと老夫婦の車に乗ってマンハッタンまで帰る。
それからタクシーにのり、マンションへ。タクシーから降りると物乞いの人が寄ってきた。
こわくて、アンの顔を見たらアンはその人に対し手をふり(どっかいってと)追い払っていた。

明日の朝にNYを発つので確認の電話をアンがデルタ航空にいれてくれた。
私の名前はちゃんとリストにあった。

アン、2週間お世話になりました!アンがいなかったら私は家に閉じこもっていたでしょう。
窓から見えるエンパイヤーステイトビルを眺め最後の夜を過ごす。

●9月19日(水) 問題勃発の帰国日

待ちに待った帰国の日。朝早いのでアンとは一言くらいしか話せなかった。
マンションの前に迎えのシャトルバスが来る。
バスには2人の外国人がすでに乗っていた。ここから1時間くらい。もうマンハッタンには戻って来れない。

空港につき、搭乗手続きをしようと待つ。
場所がわからないので適当に並んだ。
15分後くらいたった。新しいシャトルバスが来て日本人のおばちゃん4人の団体が私に話し掛けてきた。
「あなた、航空券どこの持ってるの?」「デルタです」「デルタ?デルタは今日飛ばないよ!私たちもそうだったんだけど
昨日電話したらアメリカン航空に振り替えっていわれてさ。きいてきなよ」そのおばちゃんたちはデルタ航空の日本人の人と
話したといっていた。私は夜にアメリカ人のスーパーバイザーの人。。。
なんで?私の名前はリストにあって、飛行機飛びますっていってたじゃんか〜!!
とにかくデルタの入り口へむかう。そうすると他の日本人の人も待っていた。デルタのフライトアテンダントは
今日の東京行きはキャンセルされました。来週の水曜日まで成田行きはありません。と叫んでいる。「はっ?!」なにいってんの?この女は?!あと1週間?待てないよ!!そして抗議しにいった。
でも彼女はキャンセルと繰り返すばかり。無駄だと思った私は
アメリカン航空で振替ができないかどうか聞いてみようと歩き出した。

歩いていると、"Do you have a passport?"と声をかけられた。
振り返ると、チャイナ系の男の人。制服を着てる。なんだろう?でも、無意識のうちにパスポートを見せていた。
「大丈夫です」と彼はいい、ANAの入り口へと導いてくれた。とにかく行ってみようと、入った。
カウンターでデルタの航空券とパスポートをおじさんに見せて、振り替えられるかドキドキしながらまった。
泣きそうな顔をしていたのだろう。おじさんに"I'll fix it for you. Smile, smile."と励まされた。
でも、おじさん、帰れなかったらどうすんのよ!?と心で泣きながら思った。

"Here you go! Jyu-ni gate!"

おじさんがチケットをくれた。やっと飛行機に乗れる…!
12ゲートね、分かった。分かった。え?!おじさん、今ジュウニって日本語言ったよね?!
と、かなり歩いてから気づく。泣きそうになりながら、搭乗のカウンターへ向かった。
そこで一人旅らしき人に出会う。文男さん、24歳、会社員。一人旅同士ということになり、出発まで一緒に過ごした。
彼の旅はもっと悲惨で10日にNYにつき、11日の朝、WTCに観光に行ったらテロ事件が起こり、灰かぶりになって
死ぬ思いをしたという。友達の家に滞在していたが、WTC近くだったためもうもどれなく、荷物はビニール袋に入れていた。
ずっとホテルで本を読んで過ごした、もうNYにはきたくないといっていた。

空港で嬉しいことがあった。大沢たかおがプライベートで来ていたようで、帰りの飛行機が同じだった。
生声が聞けてうれしかった。(ファーストクラスに乗っていた)

空港の電話は通じていなく、2時間後くらいにやっと通じた。
家に電話したんだけど、その航空券がほんとに有効かどうかちゃんと聞いてもう一度家に電話してといわれた。
でも、いま、ここNYに「確実」なものは存在しないんだよ・・・それはわかってもらえないだろうから言わなかった。
「確か」なものがない、日本では考えられないけど、「保証」なんて誰もできない状況だった。
家には電話をいれずに飛行機に乗った。日本につくまで安心できないと思ったから。
ANAはデルタに比べはるかに快適だった。エコノミーでもこんなにいい!と思ってしまった。
誘惑がある分、眠れなくて、帰ってから時差ぼけには悩まされたけどね。

文男さんと青砥まで電車で一緒だった。とてもいい人でよかった。
私がNYで出会った人はみんなテロ事件前に帰ってしまったので、この思いを共有できる人に会えてよかったと
思った。

そして・・・

1時間後、両親が駅まで迎えに来てくれ、自宅に到着。

長かったようで短い2週間の一人旅が終わった。


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NY旅行記 準備〜NYのこと 





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